Cafe Makuma カフェ マクマ

じいじ

3/8の朝方、祖父が天寿を全うした。齢96。

最後の2日間は動けなかったようだが、それまでは2階の自分の部屋まで難なく階段も登っていけるほど元気であったらしい。

ボケてはいたが。

とても元気な祖父であった。

もともと我が家は長寿の家系であるため、今日にいたるまで僕はお葬式にでたことがない。

・・・おかげで葬式のマナーもわからない大人になった。

今回も祖父の家は大阪にあるため、僕は仕事で出席することはできない。

なので、少しこの場をお借りして祖父に思いを馳せたいと思う。


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僕が最後に祖父にあったのはまだコロナが流行りだす直前のおよそ2年前だ。


祖父母と叔母、従妹も一緒にご飯を食べたのだが、その時にはもうボケが割とすすんでて


「たかくんは今日どうやってきたんかね?」


飛行機できたよ。


「そーかいなそーかいな。ほんでどこにいくんね?」


今日は墓参りいって、明日は京都に行こうとおもってる。


「そーかいな。ほんで今日はどーやってきたんかね?」


飛行機でね。 


っていう、割と短いスパンでのヘビロテが必要であった。


何往復かすると祖母がとめにはいり、そーかいなそーかいな…と話しかけるのをやめ


「幸せやなー幸せやなー」


って独り言をいいながらご飯を食べていた。


いつもより多くの家族に囲まれながら食事をするのが嬉しかったようだ。


「それでたかくん一人で来させてリョウ(弟)はどないした?」


東京で仕事をしてるけど? 



・・・


僕のことは孫として認識しているのに、弟のことはなぜか自分の息子と思っているのが謎であった。






祖父と二人で出かけることはあまりなかったが、先祖の墓参りには一緒に行っていた。


お墓は箕浦というところにあって、あの菅田将暉の出身地でもある…らしい。


緑豊かな山々に囲まれたとてもいいところだ。


結構な坂道が続くのだが、せっせと歩く後ろ姿は90を超える老人の足取りとは思えぬほど軽やかであったのを覚えている。


その頃はまだあまりボケも進んでおらず


「うちの墓は長男とその配偶者しか入れないけど、たかくんとは一緒の墓になるなぁ。無縁仏にならんよう早く嫁さんもらいや~。」


そうやね。次来る頃には嫁さんも一緒かもしれん。


などど言いながら磨いた墓石は初夏だというのに少しひんやりしていた。



あと一ヶ月半もすれば、祖父も墓に入る。 

少しだけ寂しい気もするが、なんということはない。半世紀後には僕も入るのだ。

その時に、磨いてくれる孫がいれば、祖父も安心するのだろうが。








じいちゃん、葬式に行けなくてごめんね。夏には墓参りに行って、ピカピカにお墓磨いてあげるから。

お嫁さんはまだおらんけど。




きっと、あの世で「そーかいな」って言っていることだろう。




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というブログをかいている途中に、ちょうど通夜も葬儀も終わった一週間後の16日。


後を追うようにして祖母も天寿を全うした。


葬儀も終わってホッと気が抜けたのかもしれないし、寂しくなったのかもしれない。


一説によると、失恋のダメージは心筋梗塞なみであるらしい。(それでいうと僕の心臓はよくまだ動いているなと思うが)


死別となれば、かかる負荷は失恋の比ではないかもしれない。


高齢であったし、後を追うようにして亡くなる話はたまに聞く。


僕はおばぁちゃんっ子だったので、よく一緒に犬の散歩にでかけたり、買い物について行ってはコッソリ籠の中にオマケつき(むしろオマケがメインの)お菓子を入れて買ってもらっていたものだ。


もう祖父母の家に行っても誰もいないが


二人はきっと、あの世でまた仲良く過ごしていることだろう。


葬式には行けなかったが、納骨には家族を代表して行くつもりだ。



しみったれても仕方がない。




墓のまえでリメンバー・ミーでも歌ってあげよう。


演歌が好きだったばぁちゃんは、たぶん知らないと思うけど。






てんちょー